2025.02.24投稿
現在は、JR西日本にしか存在しない車両「123系」の紹介をしたいと思います。荷物列車から改造された単行運転ができる車両として13両が製造されましたが、現在はJR西日本の下関総合車両所下関支所に5両だけが残っています。
2025年6月26日 後継車両について追記
「123系」の誕生
1986年(昭和61年)のダイヤ改正により、鉄道手荷物および郵便輸送が廃止になり不要となった荷物電車を単行での運転ができる旅客列車に改造されたのが「123系」となります。したがって、新製された車両は1両もありません。
「123系」は、製造後中央本線辰野支線・可部線・阪和線羽衣支線・身延線に投入されました。現在は、下関総合車両所下関支所に5両だけが残っています。1両での運行が可能であるため、輸送力適正化に役立ちました。
今の可部線の状況から考えると単行列車が走っていたとは思えません。
中央本線辰野支線

1両のみの所属でした。塩嶺トンネルの開通によりほとんどの列車が岡谷駅~塩尻駅間がみどり湖経由となり、辰野駅回りの列車の利用客が少なくなりました。そこで、1986年(昭和61年)に投入された列車です。「ミニエコー」の愛称で呼ばれていた列車です。2013年(平成15年)3月15日にダイヤ改正ににより引退しE127系に置き換えられました。飯田線で長野に抜けるときにお世話になった人も多いのではないでしょうか。
可部線

可部線用に3両製作されました。105形と連結しての運転が可能です。可部線の利用者が増加と小野田線の利用者数の減少により、1991年(平成3年)に山口地区に転属し、宇部線(宇部岬駅から宇部駅間)・小野田線全線での運行となっています。現在は、岡山・福山地区から転属してきた2両とあわせて5両体制で運用されています。
阪和線羽衣支線

写真は、岡山電車区へ転属後の宇野線での運用時のものです。阪和線羽衣支線(鳳駅~東羽衣駅)での運行用に2両製造されました。ラッシュ時には、103系の制御車と連結した3両編成での運行もありました。羽衣支線が103系での運行となったため1995年(平成7年)に岡山電車区に転属し、宇野線全線・本四備讃線(茶屋町駅~児島駅)での運用についていました。
宇野線に105系が運行されるようになると、2両編成で固定され105系と同じ運用に入っていました。2003年(平成15年)に山口地区に転属となり、小野田線本山支線のクモハ42形が置き換えられました。
身延線
身延線での運行用として国鉄時代に5両、JR東海時代に2両が製造されました。2007年(平成19年)3月18日のダイヤ改正で引退し、廃車されています。この車両については、記憶にほとんどないです。
後継車両について
JR西日本下関総合車両車について(2025年6月26日 追記)
小野田線・宇部線で運用されている123系について次の車両で置き換えられるのではないかと予想しています。
- 一畑電鉄5000系と同じ車両(名称は229系?)
1両編成にこだわるのあれば、この車両の可能性が高いと思います。後藤工場で一畑電鉄用にわざわざ1両だけ製造するということは考えにくいので、123系・125系の置き換え用の試作も含めて製造したのではないでしょうか。229系とでも名乗るのではないでしょうか。
- 227系
現行の1両から2両への増車になりますが、山口地区の車両を同じ車両で置き換えるのであれば、十分考えられます。広島地区を227系で統一したことを考えればこちらの可能性も十分あると思います。宇部線はともかく小野田線については廃線の可能性も考えられますが・・・。
- 125系
現在単行での運用のない小浜線の125系を持ってくる可能性もあります。ただし、税金から車両の製造費が出ている関係で小浜線への新車の投入がないと難しいと思います。227系と連結はできないと思いますので、下関への行き帰りをどうするかは問題となるでしょう(現在と同じく回送?)。
まとめ
荷物電車からの改造により制作された「123系」ですが、現在は山口県の宇部線と小野田線で運行のみとなっています。しばらくは安泰でしょうが、山口地区に227系が投入されると置き換えられてしまうでしょう。乗車するのであれば早めの方がいいかもしれません。
また、123系の後継者についても興味がもたれるところです。